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【TOHOKUイノベーター】「芽があるものを着実に育て、ヒットを生む」 日本初、世界初を東北から仕掛けるプロデューサー 株式会社テセラクト代表取締役社長 小泉 勝志郎さん

 世界最高齢プログラマーとして注目を浴びた「若宮正子さん」、震災後に浦戸諸島の復興を目的に始めたクラウドファンディング「うらと海の子再生プロジェクト」、海藻アカモクを広める宮城県塩竈市出身のキャラクター「渚の妖精ぎばさちゃん」などの生みの親は、実は同一人物。今回インタビューさせて頂いた小泉 勝志郎さんは、正にそれらをプロデュースされた方だ。これまで仙台を中心としたITコミュニティ作りや、震災復興の活動にも精力的に関わってこられた小泉さん。今回のインタビューではこれまで携わった企画やプロデュースの仕事に対する想いを聞いた。

【TOHOKUイノベーター】「芽があるものを着実に育て、ヒットを生む」 日本初、世界初を東北から仕掛けるプロデューサー 小泉 勝志郎さん メイン写真

幅広く活動をされている、小泉 勝志郎さん

 

世界最高齢プログラマー誕生をプロデュース

現在取り組まれている、シニアプログラミングネットワークの事業について教えてください。
 シニアプログラミングネットワークは、高齢者の方々がプログラミングを学ぶ場を提供するコミュニティです。現在、仙台、名古屋、大阪、渋谷で活動しており、各地に広がっています。子ども向けのプログラミング教育は、近年盛り上がっていますが、これまで「高齢者がプログラミングを学ぶ」という発想はなかったと思います。その証拠に、81歳でゲームアプリ「hinadan」を開発した若宮正子さんは、「世界最高齢のプログラマー」として、世界的に一躍有名になりました。この活動を始めたきっかけは若宮さんが「若者に勝てるゲームを開発したい!」という想いからで、私自身も若宮さんにプログラミング指導をする中で多くの気付きがありました。細かいアプリの操作ひとつでさえも、高齢者が使用することを考えた作りになっており、若宮さん自身がプログラミングを行う意義を感じましたね。そんな経験からコミュニティを広げていきたいと思い、現在では活動範囲を全国に広げています。

東北初、日本初、世界初を仕掛ける

これまでに手掛けられたプロジェクトはどのようなものですか?
 主に、「震災復興」と「東北ITコミュニティ作り」の2つを軸に、様々なプロジェクトを手掛けてきました。震災復興では、「うらと海の子再生プロジェクト」を立ち上げました。このプロジェクトは、塩竈市の浦戸諸島の復興に向けて始めたクラウドファンディングで、当時は「一口オーナー制度」という形式で始めました。2ヶ月で1億8000万円の寄付を集めることができ、このプロジェクトをきっかけに震災復興に携わるようになりましたね。東北ITコミュニティづくりでは、仙台で東北初のハッカソン開催やアイディアソン開催に携わりました。以前は、宮城県で活動しているITコミュニティが少なかったので、2008年に仙台初のITコミュニティとして誕生した「東北デベロッパーズコミュニティ」に参画しながら、IT勉強会を開催していました。その流れで震災後の2011年5月には、仙台で東北初のハッカソンを開催し、その後7月の第二回の開催では、ハッカソンの前段階として「アイディアソン」という形式でも行いました。一回目の開催後に、技術者の方の人数の少なさを考慮し、アイディアを持ち寄ってプロジェクトを作る要素を強めようと思ったからです。現在のハッカソンは、この要素がベースとなっているものも多く、少なからず影響を与えられたイベントになったかなと思います。

幅広く活動される中で、どのようなモチベーションが根底にあったのですか?
 震災復興に関わる中で、「東北でもすごいものが生まれていること」を強調したいと思うようになりました。東北はよく、一次産業などで褒められることが多いのですが、私が以前働いていた仙台のシステム会社が、全国の国立大学の8割ほどにシステムを導入していたように、東北の地である仙台からでも市場を取りにいけるんだということを証明したいという気持ちがありました。そのため震災復興では、主に地元である宮城県の塩竈に関わり、仙台を中心としたITコミュニティ作りをしながら、東北全体のコミュニティを活発にしていきたいという想いが強かったですね。

震災を機に気付いた地元への想い

東北という地域で、どのような想いを持って活動されてきたのですか?
 実はもともと地元に対して、愛着はあまり持っていませんでしたが、震災を機に自分の考え方が大きく変わったと思います。震災後に、営業が再開した地元のお店に行くようになって、自分は地元が好きだったんだと気付かされましたね。先ほどお話した、うらと海の子再生プロジェクトも、実は私の弟が浦戸諸島で漁師をやっていて、養殖業の復興を手伝うために提案したものです。漁師である弟が情報発信をしたことで、本当に多くの支援を頂くことができて嬉しかったですね。その後、浦戸諸島では2014年に「シーフーズあかま」の赤間俊介さんから相談を受け、浦戸諸島で捕れる海藻アカモクのキャラクターもプロデュースしました。アカモクは、栄養価が非常に高いと言われている海藻ですが、一部地域でしか食べられておらず、知名度が低い状態でした。浦戸諸島を何とかしたい想いも強かったですし、当時、塩竈の地域課題を解決するために立ち上げた「Code for Shiogama」という団体の活動として浦戸諸島でハッカソンを行い、アカモクの販売促進のネタ集めもしましたね。

ITのコミュニティ作りと震災復興活動をリンクさせたのですね。
 そうです。これまで、それぞれの活動を別々にやっていたので、どこかでクロスさせたいと以前から思っていました。Code for Shiogamaは、現在私が理事をしているCode for Japanが全国に持つコミュニティのうちの一つです。2014年のこの浦戸諸島のハッカソンを「島ソン」として開催し、海藻アカモクの販売促進について参加者40名ほどがアイディアを出し合った結果、「渚の妖精 ぎばさちゃん」という萌えキャラが誕生しました。その後、ぎばさちゃんの活躍もあって、アカモクはネットショップで人気商品になったので、自分の経験を塩竈で発揮することができた良い事例だったと思います。

【TOHOKUイノベーター】「芽があるものを着実に育て、ヒットを生む」 日本初、世界初を東北から仕掛けるプロデューサー 小泉 勝志郎さん イラスト

海藻アカモクをモチーフにした、「渚の妖精ぎばさちゃん」

 

芽があるものを育てる

話題性のある企画をプロデュースするために、どんなことを意識していますか?
 「0.1を1にする」というコンセプトを大事にしています。0から1を創り出すのではなく、「芽があるものを育てる」というやり方です。もともと根本に、好きなものを好きなように作りたいという考えがあるので、プロデュースのそういった部分が自分に合っているのだと思います。それと合わせて、「突拍子もないことを堅実にやる」というのも意識しています。若宮さんの事例は、高齢者がプログラミングをするという、端から見たら突拍子もないアイディアですが、話題性があると見込んでいたからこそ企画しました。突拍子もないことでも、しっかりと手順を踏んで着実にできるようになると、大ヒットまでいかなくとも、中ヒットぐらいまではいけます。もちろん、上手くいかなかった事業も今までいくつかありましたが、これまで事業をプロデュースする上で培った経験や、様々な人との人脈が今に繋がっていますね。

誰もがプログラミングをできる社会へ

今後の活動でどのようなことをしていきたいですか?
 シニアプログラミングネットワークの普及ですね。実際に関わって気付いたのは、「想いを持つ人がプログラミングをすることで、今までにないものが生まれる」ということです。プログラマーではない人が、プログラミングをすることがポイントです。農家の方が、きゅうりの等級選別にAIを活用した事例があるように、課題を解決したいという想いが先にあって、そこにプログラミングを活用できるようになると、今まで以上に新しいものが生まれていきます。そのため、「誰もがプログラミングをできる社会」を作っていけたらと思っています。また、現在の事業は、「高齢者が稼げるようになること」を狙いとしています。今後、日本社会の高齢化が進む中で、社会の重要な構成員である高齢者をしっかりと資産化していくことは重要です。ただ、最初からプログラミングを勧めても響かないので、まずはシニアプログラミングというジャンルで話題を作り、全国に広めていきながら、彼らが稼げる環境を整えていきたいと思っています。

【TOHOKUイノベーター】「芽があるものを着実に育て、ヒットを生む」 日本初、世界初を東北から仕掛けるプロデューサー 小泉 勝志郎さん サブ写真

若宮さんにプログラミングを教える小泉さん

 

【プロフィール】
小泉 勝志郎(こいずみ かつしろう)

宮城県塩竈市出身。東北大学卒業後、仙台のシステム会社で勤務し、製品開発部長を務める。震災を機に、うらと海の子再生プロジェクトを立ち上げ、クラウドファンディングのプラットフォームを作る。その後独立し、仙台でITコミュニティ作りに関わりながら、東北初のハッカソンや日本初のアイディアソンを開催し、株式会社テセラクトを設立する。現在は、シニアプログラミングネットワークの事業拡大に携わる傍ら、大学での非常勤講師やCode for Japanの理事も務める。

【LocalBook編集部後記】
 小泉さんがプログラミングを始めたのは8歳の頃で、自分でゲームを作りたいという動機があったそうです。根本に、「好きなものを好きなように作りたい」という想いを持ちながらも、話題性がありそうな芽をしっかりと汲み取り、丁寧に育てているからこそ、東北初、日本初、世界初といった企画をプロデュースできるのだと思いました。今後も、東北のIT業界を牽引しながら、様々な「突拍子もないこと」を仕掛けてくださるのが楽しみです。

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