「震災から復活した地元福島のJヴィレッジで試合ができたのは最高の思い出」 福島が生んだラグビー界のレジェンド引退 ―大野均さん(東芝ブレイブルーパス)
元ラグビー日本代表で、日本人最多の98キャップ(国際試合出場数)を誇る鉄人・大野均さんが、先日現役引退を発表した。福島県郡山市出身。大学からラグビーを始めた異色のキャリアながら、強豪・東芝ブレイブルーパスの主力として活躍。どんな試合も100%出し切り、身体を張ったプレーと、試合後は最後まで残ってファンサービスする“神対応”で、多くのファンの心をつかんだ。日本代表でも活躍し、2015年ワールドカップでは、世界一の強豪・南アフリカを破る大金星をあげた。
今後は、19年間プレーした東芝ブレイブルーパスで、普及担当としてラグビーに携わる。スタッフとして新たな道を歩み始めた大野さんに、故郷・福島の魅力や、今後の活動についてお話を聞いた。
福島とラグビー
―大野さんは生粋の福島っ子なんですよね。
はい、福島県郡山市の、田園風景の中で生まれ育ちました。大学も郡山(日大工学部)で、そこでラグビーと出会いました。
―福島はラグビーの盛んなところなのですか?
野球やサッカー、陸上(駅伝)などと比べると、まだまだかもしれません。それでも、2016年から毎年、福島でジャパンラグビートップリーグの試合を開催していただいています。ありがたいですね。いわきグリーンフィールド(いわき市)や、昨年は、新しく生まれ変わったJヴィレッジ(楢葉町・広野町)でも試合をさせていただきました。Jヴィレッジは、もちろん地元福島ということもありますけど、自分が2004年に初めて日本代表に入った時の合宿地でもあります。そういう特別な場所が震災で大きく傷ついて、でもあれだけまた立派に復活して、そこで試合ができて…。その日は天候がよくなかったのですが、予想に反して、多くの方に来ていただいて、すごくうれしかったのを覚えています。
―福島での試合は、いつも盛り上がりますよね。
はい。皆、東芝が来るのを心待ちにしてくれているんですね。Jヴィレッジもそうですし、いわきグリーンフィールドでも、いつもホームのように迎えてくれて。本当にうれしく思っています。
―故郷の福島を、さらにラグビーが盛んなところにしたいと思いますか。
そうですね。福島県のラグビー関係者はすごく熱い人たちなので、その思いをもっとひとつにまとめて、みんなでいろいろやっていけたらいいのかなと思います。今まで、(日本代表メンバーに入っているときなど)なかなか福島で活動できないときもあったのですが、地元に貢献する意味でも、これから自分ももっと力になれたらと思っています。
福島っ子の強さ
―福島のどんなところが好きですか。
夏は暑くて冬は寒いですけど、自然が豊かで、お酒も食べ物もおいしくて。それと人ですね。
―福島の人の気質ってどんな感じですか。
自分のことよりまず他人のことを考えるところがありますね。震災の時、実家に電話したのですが、家の壁が崩れたり、食器が割れたりはあったけれど、けが人もなく「うちは全然だいじょうぶだから」と、すぐに周りの人を気遣っていました。友人に電話したときも、彼は目の前で会社の社屋が崩れるのを見たらしいのですが、それでも命があるんだから全然いいよ、と。それよりも海沿いの方には、もっと甚大な被害を受けた人達がいるからと心配していました。そうやって、自分のことより他人を思いやる気質なのかなと思いますね
―ボランティアの方が逆に被災者の方に励まされた、なんていうお話も聞きますね。
そうですね。味の素スタジアム(東京都調布市)に福島の人が避難していたときに、炊き出しに行ったのですが、皆さん福島弁で明るく話してくれて、逆に自分が力をもらったような気がしました。
―すごく芯が強いですよね。
気候の厳しいところで生きているからですかね。農家の人も多いので、自然災害は自分ではどうすることもできない、っていうのは身に染みてわかっていると思います。起きてしまったことはもう仕方ないので、いろいろ言うよりも、自分にできることは何か考えよう、という感じですね。
―そういう気質は大野さんがラグビーをするうえでも生かされてきましたか。
そうですね。日本代表やサンウルブズ(南半球のプロリーグ・スーパーラグビーに日本唯一のチームとして2016~2020年まで参戦。大野さんは2017年まで在籍)の遠征でいろいろな国に行ったのですが、遠征先のなかにはあまり環境が整っていないところもあって。でも、そんな時もせっかく南アフリカとか、遠い国まで来ているんだから、楽しもう、と前向きに考えられました。そういう風に考えられるのは、福島で育ったことが影響しているのかなと思います。
ラグビー普及担当の仕事とは
―普及担当というお仕事に就かれたわけですが、具体的にはどんなお仕事をされるんですか。
東芝ブレイブルーパスというチームの魅力をもっと知ってもらうために、いろいろなイベントを行ったり、選手とふれあってもらう機会を作ったり、あとはラグビー自体に接する機会がなかった人たちに、ラグビーを知ってもらうきっかけを作ることなどです。
―お子さんたちにラグビーを教えたりもするんですか。
はい。それは現役時代からもやっています。日本代表で海外遠征に行ったら、近くの学校に教えに行ったり、合宿地などでもオフの日に教えに行ったりしました。東芝の本拠地の府中市でも、選手がグループに分かれて、市内の小学校を全部回りました。
―ラグビーを教える楽しさとか、難しさはどんなことですか。
うーん…教える相手にもよるのですが。例えば、小さい子どもは、基本的に言うことは聞いてくれませんね。10言って2聞いてくれたらいい方ですよ。
でも、ラグビーボールを触ること自体を楽しんでくれるので、そういう光景を見るのはうれしいですね。それをきっかけに、ラグビーを始めたいと言ってくれたらすごくうれしいです。
―親御さんたちの反応はどうですか。
昨年ワールドカップを見たのをきっかけに、ラグビー精神や、選手の人柄に実際に触れて、ラグビーは素晴らしいと思ってくださり、「子どもにラグビーをやらせたい」と言う親御さんが増えた、と聞いています。
―普及といえば子どもがメインかと思いますが、大人に広めるのも大切ですよね。
もちろん、そうですね。集客につながり、お客さんがたくさん入ってくれると選手もいいパフォーマンスができる、そういういいスパイラルを作っていけたらと思います。
―ワールドカップの影響もあって、ラグビーを見る方はだいぶ人気になってきたと感じますが、自分でやるという意味での普及はどうですか。
休みの日に「ちょっとラグビーしに行こうか」というような気軽さは、なかなか難しいかもしれないですね。でも自分は大学からラグビーを始めて、長く続けることができたので、そういう経験談を話すことで、「じゃあ、自分もやってみようかな」と思うきっかけ作りができればと思います。
―タグラグビー*なら大人も気軽にできそうですね。
昨年のワールドカップの頃から、タグラグビーなどのイベントも企画されていて、オファーもいただいてたんですけれど、こういう状況(コロナ禍)なので中止になってしまいました。また状況がよくなって、ラグビーを普及するイベントができるようになればいいなと思いますね。
*タックルの代わりに腰に付けたタグを取ることで、激しい身体接触をなくし、誰でも安全にできるよう配慮されたラグビー
―普及担当として、何か新しく始めたいことはありますか。
ほかのスポーツ競技の方々と何かやってみたいですね。いろいろな競技の方と交流があるのですが、自分のやっている競技だけじゃなく、スポーツ界全体として横のつながりを持てたらいいなと、話しています。来年は東京オリンピック・パラリンピックもありますし、例えば車いすラグビーの方とも何かできたらいいなと思いますね。
大野さんからのメッセージ
―今、また日本中が困難な時期を迎えていますが、故郷・福島の方々、東北地方の皆さんにメッセージをいただけますか。
東北は今のところ、そこまで多くのコロナウイルス感染者は出ていないですけれど、(飲食店の休業やイベントの中止による農産物売上の落ち込み、観光客の減少など)いろいろ影響を受けていると思います。震災の時のように、気持ちをひとつにしてこの状況を打開してほしいです。東日本大震災を乗り越えた東北の人達なら、きっと乗り越えられると思います。その前進する力を全国の人にも見せてほしいです。
―そうですね、福島の元気が全国の元気になると良いですね。ラグビーファンの皆さんにもメッセージをお願いします。
どのスポーツも自粛期間があって、野球やサッカーは再開しましたけれど、ラグビーも続いていきたいですね。現役の選手達は自分にできることをしながら、最高のパフォーマンスができるように頑張っていますので、その時が来たらぜひスタジアムに見に来て、選手を後押ししていただきたいです。自分もその時はスタジアムに行きたいと思っているので、ぜひ声をかけていただけたらうれしいです。
【プロフィール】
大野 均
1978年、福島県郡山市生まれ。清陵情報高(福島県須賀川市)では野球部所属。日大工学部(郡山市)でラグビーを始める。2001年、東芝ブレイブルーパスに加入。2004年から日本代表に選ばれ、ワールドカップには3大会連続出場、国際試合への出場回数(キャップ)は日本人最多の98を誇る。日本初のスーパーラグビーチーム・サンウルブズでも活躍。献身的なプレーとファン思いの温厚な人柄で愛されてきたが、2020年5月、惜しまれながら現役引退した。身長192㎝、愛称・均(キン)ちゃん
【LocalBook編集部後記】
福島県の人の気質を「自分のことよりまず他人のことを思いやる」と話してくれた大野さん。その気質が復興への原動力にもなったのだと思いました。大野さんがラグビー選手として大成されたのも、苦しい時でもチームのために身体を張れる、福島県人らしい強さがあったからなのでしょう。今後についても、「自分が何をやりたいか」より「喜んでもらえることをやりたい」という思いが伝わってきました。コロナ禍のもと、まだ手探りの状態ではあるかと思いますが、普及担当スタッフとしてのご活躍も楽しみです。
(ライター:ゆり)