集大成の無料単独ライブ1008人動員!2ヶ月間の「秋田住みますプロジェクト」を終えた、秋田出身芸人・ねじの変化と今後とは
2019年11月1日(金)、秋田市文化会館で1008人を動員する無料単独ライブが開催された。秋田出身芸人・ねじのササキユーキさん、せじもさんが決行した「秋田住みますプロジェクト」の集大成となるライブである。“お笑いライブを観に行く”という文化が根付いていない秋田県で、芸人の単独ライブにこの人数が集まるのは快挙だ。「秋田住みますプロジェクト」とは、9・10月にねじが秋田に住み込み、無料でイベントに出演する取り組み。今回LocalBook編集部では当日の会場の様子や雰囲気を伝えるため、単独ライブの取材を試みた。
ねじの「秋田住みますプロジェクト」とは?
5月11日(土)に公式YouTube「ねじチャンネル」で発表された、【秋田で2か月間イベント無料出演】と【無料単独ライブ開催】までの大プロジェクト。2か月間の滞在費や単独ライブの開催費を賄う目的でクラウドファンディングを実行し、目標を大幅に超える154万円を集めた。
普段は東京中心に活動しているねじだが、プロジェクト期間中は秋田駅前に部屋を借りイベント出演を続けた。県内各所で行われるお祭りや地元バスケットボールチームの試合、学園祭など、出演は60か所以上。中には、“稲刈りに参加し田んぼでネタをする”という秋田ならではのイベントも。2か月間で多数の県内メディアから取材を受け、かなりの注目を集めた。毎日公式YouTubeで配信を行い、秋田だけではなく東京のファンに向けても近況報告を欠かさず行った。
さらに地元で活動するバンド・Mating Rhythmとコラボし、オリジナル楽曲『おいがだの言葉』をプロジェクト期間中にリリース。以前から「秋田弁の曲を作りたい」と考えていたメンバーのNaoさんが、幼馴染であるせじもさんに声をかけたことがきっかけで制作された。全編秋田弁の歌詞が特徴で、ねじの2人はボーカルとMVの主演に挑戦。脚本はねじの座付き作家・松原さんが担当し、秋田弁のあたたかさと地元への愛情が込められた曲と映像に仕上がっている。
ねじ初の秋田単独ライブ、1008人を動員!
単独ライブ「出荷—令和元年あきた便—」は、11月1日(金)に秋田市文化会館・大ホールで行われた。開演は19時半だが、18時過ぎには開場を待つ人々でエントランスは混雑。仕事終わりに駆けつける人も多く、開演ギリギリまで観客は増え続け、動員人数は1008人。2か月間でねじを知った秋田県民はもちろん、東京など遠方からもファンが集まった。客層は幅広く、小さな子どもからお年寄りまで様々。ねじがプロジェクトを通じて蓄積した信頼と、2人への期待を感じる幕開けだった。
直前まで入念なリハーサルが行われ、19時半開演。前説は秋田在住芸人・ちぇすが担当。オープニングアクトには、同じく秋田で活躍するキャミソウルブラザーズが出演し、会場を盛り上げた。ねじが登場すると会場は大きな拍手に包まれ、単独ライブ開始。
ネタの間にはトークコーナーも実施。秋田ならではのハプニングやイベントでの思い出深いエピソードを語った。8本のネタを終えた後はプロジェクトを振り返るエンディング映像が流れ、カーテンコールで再びねじが登場。言葉を詰まらせながらも、「秋田に恩返しできるように、もっと応援してもらえるように。そして秋田を代表する芸人に」と宣言。単独ライブは大成功で幕を閉じた。
プロジェクト終了後も秋田でのオファーが立て続けに入り、現在は秋田・東京を行き来する。NHK秋田放送局の新番組「放課後ラジオ よりみちこまち」のレギュラー出演も決定し、今後も精力的に活動を続けていく予定だ。
「秋田住みますプロジェクト」を振り返って ~ねじの変化と今後~
かなり濃度の高い2か月を過ごしたねじ。環境だけではなく、考え方にも大きな変化があった様子。プロジェクトを通じ、ねじはどう変わったのか、そして今後どうなっていくのか?今回は、構想段階からねじを支えた作家・松原さんにもご協力いただき、プロジェクト後にインタビューを行った。
☆プロジェクト開始直前インタビューはこちら
―前回のインタビューで、ササキさんが「僕らにとって人生変えるプロジェクト」とおっしゃっていたのが印象に残っています。2か月が終わって、どんな変化がありましたか?
ササキ:めちゃくちゃ考え方が変わりましたね。プロジェクトを始める前は、自分で人生を変えようと思ってたんですよ。誰かが変えてくれるわけじゃないから、自分たちでやらなきゃ、と思っていて。考え方が内向きになってたんですよね。でも、行ってみたら意外とニーズがあってびっくりしたんです。以前はまわりをどうにかして変えなきゃと思ってたんですけど、秋田の人たちが応援してくれて、今まで見えてなかったことに気付いたというか。最初は自分たちのためだけにやるプロジェクトのつもりだったんですけど、2か月走り終わって、自分たち以外にも負わなきゃいけない責任が増えた感じがしますね。少なくとも単独ライブに集まってくれた1008人は、僕らがテレビに出たりするたびにあの日のことを思い出してくれる1008人なんですよ。最低でもその1008人を喜ばせたいと思うじゃないですか。
せじも:自分は、東京で活動していたころよりだいぶたくましくなったと思います。企画書やメールを送ったり、名刺を配ったり……。今までやってこなかった、社会人としてやるべきことが身についたというか。最初は飲みに行くのもビビってたんですけど、今は変に怯えず普通に話すことができるようになりました。それから、どこにアプローチすれば仕事を持ってくることができるのか、というのもいろんな人に教えてもらいましたね。地元のタレントさんともつながりが持てて、そこからイベント出演に繋がったりもしましたし……パイプが増えましたね。
ササキ:せじもはだいぶ変わったと思いますよ。人として自信が出た。2か月やってきた自負みたいなものが出てるというか。舞台での立ち振る舞いも変わりましたし。単純に、発声とかも上手になりました(笑)。
せじも:そうそう。ピンマイクの使い方とかね(笑)。
ササキ:この2か月、60か所以上の場所でいろんな環境でネタやったわけですよ。そうすると、なにがあっても対処できる。せじもはそれをすごく感じますね。
―2か月で60か所以上のイベントに無料で出演されましたが、印象に残っていることはありますか?
ササキ:ひとつひとつのイベントでエピソードトークができるくらい、たくさんありますね。小学校で「キャリア講話」を何度かやらせてもらったんですよ。秋田から出た人がどうしているか、というのを話すんですけど、東京では絶対やらない仕事じゃないですか。自分がなんでお笑いをやろうと思ったのかとか、強制的に振りかえる機会にもなりましたね。
せじも:2か月住んでみて、秋田では土日ですごい数のイベントが行われてるんだなと思いました。駅の東口、西口で違うイベントやっていたりとか。印象的だったのは、稲刈りに参加してネタをしたことと、1日警察署長をしたことですね。東京ではなかなかできない仕事ですし、警察署長なんてある程度の位置にいかないとできないことなので。
田んぼの真ん中でライブしました!
サイコーの体験でした! pic.twitter.com/o4Isfujvq8— ねじ(芸人)【秋田市文化会館1000人動員ありがとうございました!】 (@neji_sasa_seji) October 22, 2019
ササキ:僕がこの2か月で1番印象に残っているのは、単独ライブ直前に行ったイベントですね。筋ジストロフィー患者さんの病棟でネタをやったんです。こういう場所でネタをやるのは初めてですし、やる前は少し気持ちが重かったんですよ。患者さんたちは大変な病気で笑う筋力も今はないし、声も出せないですから。でも、だからこそ余計感じたのかもしれないですけど、すごく僕らのことを見てくれていたんですよ。楽しんでくれてるっていうのを、笑い声じゃない部分から感じて……喜んでくれているのが分かって、ネタやりながら泣きそうになるくらい感動しちゃって。あらためて、お笑いをやることの意味を感じましたね。人を喜ばせる仕事をしているんだな、って。このイベントに行ったことで自分の持ってた偏見みたいなものも無くなったし、もっと頑張ろうという気持ちにもなりました。おこがましいですけど、僕たちは声出せるんだから出すべきだし、動けるんだから動くべきだし、やれることを全力でやるべきだな、って。
ササキ:2か月間イベントに出続けて、どんどん反応が増えていった感触がありますね。テレビやラジオに結構出ていたので、10月には「今話題のねじが来る」というニュアンスに変化しているのを感じて、手ごたえがありました。最初は”秋田弁でネタやる人でしょ”みたいなリアクションしかなかったんですが、”最近秋田で頑張ってるよね”という反応が増えていくみたいな。この調子でどんどん広がっていくと良いなと思っています。
せじも:期間中いろんなメディアに出たけど、新聞(秋田魁新報)に載ったのはすごかったよね。どこに行っても「魁で見たよ」っていう人が結構いて、こんなに影響力強いんだなと感じました。
―このプロジェクトを1番近くで見守っていた松原さんにお伺いしたいのですが、最初に話を聞いたときはどう感じましたか?
松原:最初は本当に漠然としていました。秋田で1000人集めたいんだよね、ということをササキさんが言い出して。正直言って「は?」と思ったんですけど、ササキさんが持ってきたノートに1000人集めるためのメモが書いてあって。それを見て、ちゃんとビジョンがあってこういうことを言ってるんだと分かりました。そこから逆算して、1000人集めるためにはどうしたら良いかを組み立てて行ったらこんなに大きなことになってしまった、みたいな感じですね。
ササキ:このプロジェクトは、松原がいて初めてゴールまで全部見えたんですよね。僕らはただネタを作ることしかできなくて、足りない部分を松原と話しながら埋めていけたので。
せじも:松原がいたからここまでできたよね。
松原:2人とも、アイディアがどんどん出てくるんですよ。でも今までは、それを実現するやり方が見えていなかった。最初に話が出たのが3月くらいだったので、半年でここまで。本当にすごいことをやったと思います。
ササキ:これからも3人目のねじとして頑張ってもらわないと。
松原:僕、ずっと座付き作家って憧れてたんですよ。芸人さんと二人三脚でやっていくことに。それを経験させてもらって、感謝してます。
―松原さんは、プロジェクトを通じておふたりの変化は感じますか?
松原:めちゃくちゃ感じますね。ササキさんはエッジの効いた毒のある言いまわしが強みだったんですけど、それを残しつつ人間的な柔らかさが出たなと。本当にいろんな人に会って吸収して、僕から言うのもなんですけど、大人になったと思います。せじもさんは、舞台での立ち振る舞いを見ていると本当に自信があるように見えますね。2か月間一緒にいて、ササキさんなら絶対に拾ってくれるだろう、という信頼関係が強くなったのもあるんじゃないかな。
ササキ:(柔らかさが)出ちゃうよね(笑)。以前は事務所に対して「なんもしてくれない」と思ったりもしたんですけど、2か月間マネジメント的な部分も自分たちでやってみて、感覚が変わりましたね。スケジュール管理するだけでも大変だわとか……そういう意味では本当に、いろんな人と出会っていろんな立場からものを考えられるようになったのかもしれないですね。
—単独ライブには1008人のお客さんが集まり会場は満席状態でしたね。それを見た瞬間はどんな気持ちでしたか?
ササキ:正直、最初に舞台に出た瞬間はどうでも良かったです。お客さんが1000人だろうが100人だろうがやることは変わんないので。ただ、ネタをやって笑いが起きたとき1000人の笑い声だな、とは思いました。
せじも:1000人いったこと自体はもちろん嬉しいですけど、100人だったらそれはそれで話のネタにもなると思ってましたしね。
ササキ:でも、カーテンコールの時にちょっとグッときちゃいましたね。拍手が鳴りやまなくて、1000人の圧なんで、うるさいくらいで……しゃべり出せないくらいすごいんですよ。舞台からは見えない席からも拍手が聞こえてきて、「あそこにもお客さんがいるんだ」と思って。あらためて感謝を伝えなくては、と言葉を出そうとすればするほど、涙が出てくるというか。
せじも:涙止まらなかったですね。
ササキ:単純に「良い舞台だったよ」という種類の拍手よりもっと重いものを感じて、あれはちょっとやられちゃいましたね。
―客層が東京のお笑いライブとは全然違いましたね。小さい子どもから、お年寄りまで。
ササキ:客層の違いは2か月のイベントで慣れちゃいましたけど、単独ライブを見せるということは緊張しましたね。
せじも:いつもは15分くらいの尺なんですよ。そこを1時間以上のパッケージで見せるのは緊張しました。
ササキ:冒頭のネタ、僕がすごい毒舌のコントだったんですよ。それを客席で見ていた母親は、「これは終わった、嫌われる」と思ったと言ってましたね(笑)。
松原:でもあれがウケて、「勝った」と思いました。あれがウケたということは、「秋田のねじ」というより「ねじ」自体を受け入れてくれたんだなと。
ササキ:早くまた秋田で単独やりたいですね。今度はもっと小さいキャパで良いので、ちゃんと有料で。単独ライブに来た方からの意見で嬉しいのが、「これが無料で良いの?」と言ってくれた人が結構いたんですよ。とりあえず1回無料で観てみてよ、というのが今回の狙いだったんで、そこは成功したと思いますね。
―プロジェクトを終えて、次におふたりが目指す目標を教えてください。
ササキ:最終的な目標は同じで、アンテナショップみたいな芸人になるというのはずっと一緒。秋田の人たちが注目している芸人になれている自負はあるんで、もっと秋田にお笑いをもっていくことを頻繁にできたらと思ってます。具体的には、有料の単独ライブをやること。それから、東京の芸人を秋田に連れて行って月1回くらいお笑いライブをやりたい。意外とお金の面で難しいんですけどね。あとは、秋田でテレビのレギュラーを持つことですね。
せじも:あと、もし観光大使になれたらもっといろんな活動をしたいよね。
ササキ:東京だけで活動していたら絶対できないような企画を、市に訴えかけることができるようになるかもしれないですからね。芸人やってるだけではできないことに手を付けられるかもしれない。
せじも:それから、高橋優さんのような秋田出身の方と一緒になにかできたらいいなと思います。若者が喜ぶようなチャラいイベントもやっていきたい。試していきたいことがたくさんありますね。
ササキ:東京での目標としては、「アメトーーク!」に出たいです。オーディションでプレゼンしたいですね、「地元じゃ負け知らず芸人」企画。東京で頑張ると秋田の人たちが喜んでくれるんで、全国ニュースになるようなこともしていきたい。
せじも:早く言わせてあげたいね。東京で頑張ってるあいつら、俺たち知ってるぜ、って。
―最後に、秋田の方へメッセージをお願いします。
せじも:またテレビでお会いしましょう。イベントではネタを見てもらったので、ロケに出かけてこういうおしゃべりも見てもらいたいですね
松原:2か月間ネタをたくさん見ていただいたんですけど、ねじは平場がすごく面白いんです。その幅広さを秋田の皆さんに知ってほしいですね。
ササキ:期待を裏切らないように頑張ります。これからの秋田を背負っていくのは我々みたいな世代なので、分かりやすいシンボル的な存在になりたいですね。秋田の魅力をもっともっと発信できる存在になりたい。秋田の人たちが、「ねじを応援しておけば大丈夫」と思ってくれるようになっていきたいと思います。
【プロフィール】
ねじ
秋田県潟上市出身のササキユーキさん(右)・せじもさん(左)のコンビ。県立金足農業高校で出会い、卒業後上京してお笑い芸人に。トリオとして活動後、「ねじ」を結成。東京でのライブ出演を中心に活動しており、ネタだけではなくMCとしても活躍。2019年9・10月に「秋田住みますプロジェクト」を実施。2か月間無料で60か所以上の県内イベントに出演し、最後に開催した単独ライブで1008人を動員。コント師。ケイダッシュステージ所属。
主な出演番組:
秋田朝日放送「秋田県立いぶり学校中等部」(ナレーション)、BSフジ「冗談騎士」、日本テレビ「ZIP!」、テレビ東京「にちようチャップリン」など。
11月からはNHK秋田放送局の新番組「放課後ラジオ よりみちこまち」にレギュラー出演。
・ねじTwitter:@neji_sasa_seji
・せじもさんTwitter:@5E_J1_M0
松原将貴
大学在学中にお笑いライブの制作会社でスタッフとして経験を積み、大学卒業とともにフリーの構成作家として様々な芸人のライブや動画配信などに携わる。ねじのYouTubeチャンネルでは構成・編集を担当し、11月1日の単独ライブでは映像制作と舞台監督を務めた。
Twitter:@sea_slug_bass
【LocalBook編集部後記】
プロジェクト開始前、終了後にお話を聞かせていただきました。印象的だったのは、お二人が全くぶれていないこと。気持ちの変化は大きくあったということですが、目標は一貫して「秋田のアンテナショップのような芸人になる」こと。これから秋田・東京(全国)の懸け橋になるような芸人さんになっていくんだろうな、と確信しました。また、作家の松原さんがねじのおふたりを本気で想っていることも印象的でした。単独ライブでは誰よりも涙した、という松原さん。これからも二人三脚で躍進を続けることでしょう。今後も、ねじの活躍を追い続けていきたいと思います。(ライター:堀越愛)